普通軸

子どものころから、普通でありたいと思っていたように思います。普通でなければ、生きていけないと漠然と考えていたような気がします。農村で村八分にされる恐怖のようなものを、遺伝子的に引き継いでいたのかもしれません。

 

しかし今、普通とはなにか?と考えるとき、現在のように変化が激しい時代においては、容易にその「普通軸」自体が変動し、何が普通なのか分からなくなっているように思います。

 

最近は自分らしく個性的であるほうが望まれる時代とは思いますが、いざ、自分らしくと言われても、そもそも自分がどういう存在なのか、分からないという人も多いようにも感じます。

 

いざ普通という枠を取り払い、自由にやりたいこをやろうにも、

自分がほんとうにやりたいことが何なのかが分からず、

 

そんな自分が、薄っぺらな存在にしか思えず、

 

こんなはずではなかったと、再び普通軸に戻ろうとしても、

普通軸自体が変動し、多様化し、

自分の慣れ親しんだ普通軸は色あせて見え、途方に暮れる

 

こんな感じの人も多いのではないでしょうか。

 

-----------------------------------------------------------------------------------------

先日、大学の研究室から連絡があり、同窓会で冊子をつくるそうで、各自なんでもよいから文章をかいてほしいという依頼がありました。

 

徒然なるままに、何か書き始めたのが上の文章です。この後どうまとめるか思案中ですが、なんとか「普通」に読めるようになるといいなあ。

 

さて今日は、森の作業日で晴望亭近くの道沿いに、球根類を植えました。

作業中後、疲労感があり朝食後は1時間爆睡。しかしごその後復活して、ワークの準備の集中できました。

 

それではまた。