和訳の妙
英語版の遺伝子易経を眺めていて、辞書をひいてもよくわからない単語に気づきました。日本語版と照らし合わせることで、どう訳されているかが分かったのですが、例えば
“transmission”=「光の伝達場」
“Hologenetic Profile”=「遺伝子の鍵チャート」
です!
特にこの”hologenetic”という単語は辞書をひいてもほとんど出てきません。いずれもはじめに訳された石丸さんのご苦労や工夫のほどがうかがえますね。感謝です。
さて今日は、畑のひとつむぎてはお休みさせてもらい、上にも書いたような遺伝子易経関係の作業を行いました。今日もいい天気で、少し雨が降ってほしいくらいになってきましたね。
それでは。
√5はどこから?
以前、黄金比の話を少ししました。
宇宙が私を愛するが如く・・ - poohpoohsanの日記 (hatenablog.com)
数式で書くと、上の図で
(a+b)/a=a/b
が成り立つ時に黄金比となるのですが、これは簡単な二次方程式を解くことで、比率を具体的に書き下すことができ、それは
(a+b)/a=a/b =(1+√5)/2
となります。この(1+√5)/2はよくφと表されますね。すなわち、黄金比φは
φ=(1+√5)/2
です。
さてこのように、φを表す数式の中には√5というものが出てきています。
したがって、いろいろな図形で黄金比を探す作業を行う時には、√5をどう探し出すか?がひとつのポイントになることがあります。
だって√5と言われても普通、ピンときませんよね。
しかし実は簡単です。
図のように、直角を挟む辺の長さが1と、2による直角三角形があれば、その斜面の長さは√5になります。三平方の定理ですね。何も考えなくても自動的に√5が得られるのです。したがって、直交している長さが1と2の長さを探せば、√5に出会えます。
ところで直角三角形といえば、最も簡単なものは辺の長さがともに1である直角三角形の場合ですね。
しかしこれでは、√2にしかならない。黄金比には√2ではだめで、√5が必要なのです。
ではなぜ黄金比には√2ではなく、√5が必要なのか?・・・
と考えるとき、感じるのは、長さがともに同じ1である場合、自分ひとりの中に留まった世界感になっている印象を受けます。半径1の球の中心に意識が留まり、どこを見ても長さ1の自分の世界を見ている世界感と言ったらいいでしょうか。
自分の中心に居座る視点からは、自分の半径1しか見えない!
すなわち、φの中に√5が含まれ、それが“1”と“2”から生れるということは、
黄金比という調和を達成するには、自分(1)と自分でないもの(2)が必要
で、言い換えれば√5は、
調和というものを体験的に理解するために自分でないものが存在している
という原理を反映したもの、というのが今の私の理解です。
この√5と黄金比については、またいずれ続きをつぶやくことにします。
つぶやきはここまでで、今日は草刈りなどの外作業はせず、遺伝子易経関係のまとめをしたり、モロヘイヤの葉っぱとりをしたりで、午後3時くらいから頭が重く、クラクラする感じがありましたが、復活しました。
普通軸
子どものころから、普通でありたいと思っていたように思います。普通でなければ、生きていけないと漠然と考えていたような気がします。農村で村八分にされる恐怖のようなものを、遺伝子的に引き継いでいたのかもしれません。
しかし今、普通とはなにか?と考えるとき、現在のように変化が激しい時代においては、容易にその「普通軸」自体が変動し、何が普通なのか分からなくなっているように思います。
最近は自分らしく個性的であるほうが望まれる時代とは思いますが、いざ、自分らしくと言われても、そもそも自分がどういう存在なのか、分からないという人も多いようにも感じます。
いざ普通という枠を取り払い、自由にやりたいこをやろうにも、
自分がほんとうにやりたいことが何なのかが分からず、
そんな自分が、薄っぺらな存在にしか思えず、
こんなはずではなかったと、再び普通軸に戻ろうとしても、
普通軸自体が変動し、多様化し、
自分の慣れ親しんだ普通軸は色あせて見え、途方に暮れる
こんな感じの人も多いのではないでしょうか。
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先日、大学の研究室から連絡があり、同窓会で冊子をつくるそうで、各自なんでもよいから文章をかいてほしいという依頼がありました。
徒然なるままに、何か書き始めたのが上の文章です。この後どうまとめるか思案中ですが、なんとか「普通」に読めるようになるといいなあ。
さて今日は、森の作業日で晴望亭近くの道沿いに、球根類を植えました。
作業中後、疲労感があり朝食後は1時間爆睡。しかしごその後復活して、ワークの準備の集中できました。
それではまた。
水あめ
小学校低学年のころの思い出です。
子ども向けの科学雑誌の付録に、水あめをつくるセットがついていました。説明書にしたがってつくろうとしたのですが、牛乳瓶1本ぶんの水を入れる(半分とかだったかな?)、とあったのを早合点して、牛乳瓶の牛乳をそのままいれてつくりました。当然水あめにならず、失敗。
この思い出が今朝がた、うつらうつらしながら何故か頭に浮かびました。
水あめつくりをそうとう楽しみにしていたのか、がっかりした記憶と、やはり自分にはできないんだ、と思ったような気がします。またつくる時に、多分父も見守る感じで立ち会っていたような気がして、恥をかいたような感覚もあるような・・・
料理をはじめ、なにか物をつくるのが苦手という意識にも繋がっているかもしれません。
さて、思いで話はこの辺で。
今日は細かなやることがいろいろあって、何だか慌ただしい一日でした。
ひとつひとつの作業は大したこと無いはずなのに、特に昼ごろから足が地につかない感じだったなあ。
そんな一日でした。
堤真一さん
NHKのファミリーヒストリーを見ました。俳優の堤真一さんがゲストです。
極端に無口で勤勉なお父さんとのあいだに溝ができていたそうですが、高校中退を決意した時の、お父さんとの会話。
「あんたみたいなサラリーマンみたいになりたくねえんだ」
「サラリーマンの苦しみが分からない人間は何をやっても一緒や」
この会話の数年後、真一さんのデビュー前にお父さんは肺がんで亡くなったそうです。
司会の今田耕司さんのコメント、「わかりますよね。子どもの時に、お父さんと逆のことをね」
真一さん、「しがないサラリーマンみたいなイメージでこっちは見てるし。・・・よくそんな生意気なこと言ったな。」
私の場合はその逆でした。高校のころ、多分大学受験のころ、将来はサラリーマンになりたい、と思っていたことを覚えています。サラリーマンだった父を見ていて、それ以外の道を考えられず、分からない道を行くのは怖いし、サラリーマンでいいや、と思ったんだと思います。
しかし自分の殻を破り、一歩外に踏み出すことが自分の調和にために必要なことだと、今では理解しています。(黄金比で遊んでいても、それを感じ取ったのですが、そのことはまた別の機会に紹介します。)
番組最後の真一さんのコメント、「無口だから、何かずっと、愛されてないって思っていたので。俺のこと嫌いなんだろうなって。ほんとばかですよね」(涙)
へたなドラマより見応えありました。NHKオンデマンドで11/11まで視聴できます。
さて、今日は田んぼの草刈りをしました。天気もよく気持ち良く作業ができました。
それでは。